琵琶湖の湖底に『長浜城』に関わる湖底域に遺構か?『文政近江地震』で沈んだ?興味を覚えます!

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世相 雑談

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琵琶湖の湖底に『長浜城』

歴史に関わる物語はとても楽しいもの。
この琵琶湖の長浜あたりもかつてはよく眺めたところです。
いつものように徒然ながら思うこと。

琵琶湖 長浜城

項 目

1 長浜と言えば
2 『長浜城』
3 『文政近江地震』
4 研究への期待 

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長浜と言えば

早速です。
長浜と言えば、さっと浮かぶものの一つに羽柴秀吉、後の豊臣秀吉の最初の居城『長浜城』が挙がるかと思います。

そこで今回、その『長浜城』近くの琵琶湖の湖底部から、江戸時代の建物とされる遺構が見つかったとあるのです。

特にポイントは水中にある遺跡で木造建築の遺構がわかる柱が見つかったこと。
これは極めてレアなケースとあり、かなり注目度が高い様子。

ただし『長浜城』址は現在の豊公園であり、同城は1615年の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した後は廃城へ。
その後は田畑へ変わったと伝わっていますからね。
遺構の発見が直接、秀吉関連の話に結びつくのかどうか、そのあたりは、どうでしょう。

ですが、遺構が『長浜城』とともに、この地の歴史を広める契機にはなりそうです。

ということで、ちょっと、『長浜城』と沈んだ原因とされる『文政近江地震』を探訪してみます。

『長浜城』

やはり、まずはこれでしょうね。

羽柴秀吉が築城した日本の城

ちょっと細かく触れると次のようです。

長浜城 文政近江地震

天正元年(1573年)、羽柴秀吉が浅井長政攻めの戦功で織田信長から浅井長政の旧領を拝領。

その際、今浜と呼ばれていたこの地を信長の命から長浜に改名したとあります。

天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦のアト。
山内一豊が入城し6年間、城主として統治。
これはNHKの大河ドラマ『功名が辻』でもその姿が表現されていました。
主演(上川隆也、仲間由紀恵)敬称略

ところで、専門家の話では水中に没した木造建築の遺構は『文政近江地震』時と推定されるとのこと。

ですからね。
それ以前の長浜城の敷地がこの湖底部にある遺構を含むほど広かったとみなせるかもしれないとありますから。
これからの調査研究が楽しみなところでしょう。

『文政近江地震』

そこで、遺構を見ずに残した『文政近江地震』をたどるとこんな感じ。
まずは時代から、文政のころ。
文政6年(1823年)にドイツ人のシーボルトがオランダ商館員として来日していますからね。
かなり幕末に近いころと言えるでしょう。

日本の近代国家への流れが起こる頃・・とも考えられるでしょう。
ですが、比較的新しい時代の割には、地震に関して専門家などが語るものは少ないようです。

その中で、共通して表されているものがこれ!

発生時期 : 1819年8月2日午後3時頃
マグニチュード : 7.5-7.7
地域 : 滋賀県北部湖東から鈴鹿

一部の資料では伊勢近江地震の名称も。
そして、いろいろと地震に触れたものはありますが、明確に「これだ」と示すものはない様子。
ただし、当時の被災状況は激しいものがあったらしく、被害は広範に渡っていたとあります。

その結果、旧長浜城址の江戸期の建物も土地の沈降に合わせ沈んだとあるのです。

研究への期待

報道では今回は滋賀県立大の発見、同大の先生の今後の調査に期待!と結ばれています。
是非とも新たな発見が見つかることを楽しみにしたいもの。

ともあれ、歴史好きには無上のものがあるでしょう。
では。

(オワリ)

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