真田丸・・三谷幸喜ワールドでは「忍城の戦い」をどう描く? 石田三成の気分で丸墓山に登り忍城方向を見て夢想する!

この記事は2分で読めます


世相 雑談

スポンサードリンク

三谷幸喜さんが描くとどうなるのか?
第24回の「滅亡」を見る前に

久しぶりに石田三成が陣所を置いたという
丸墓山に登ってみました。

項 目

1 丸墓山
2 丸墓山から見たかつての忍城周辺

スポンサードリンク

丸墓山

高さは19mあります。

下から見上げるとさほど高くは見えませんが
いざ登ってみると息は切れます。

しかし、頂上に上がると意外と人は多いです。
最近のドラマの影響もあるのでしょう。

真田丸 忍城

多くの人が城はどこ?
・・などと言いながら遠方を眺めています。

きっと、石田三成はここに立ち
堤の造成の指揮を取ったのでしょう。

北の利根川と南の荒川の水を引き込み
忍城を水攻めに・・。

しかし
成田長親とその家臣らは
小田原城が落城するまで降伏はせず。

正木丹波守利英も
きっとあたりを駆け抜けたのでしょう。
(「高源寺」前の看板から)
真田丸 忍城

結果的に
石田三成はもとより、豊臣秀吉にとっても
落とすことができなかった城になったようです。

ちなみにこの時できた堤防は「石田堤」
その長さは28kmに及ぶとのこと。

この丸墓山に登ると
きっと、そのための土砂を確保するために

近隣の古墳を破壊したのかな?
・・と想像が膨らみます。

もしかして、新たな歴史の創造と引き換えに
過去の魅惑的な歴史が消え去ったのかと思うと
ちょっと残念・・でしょうか。

あくまでも想像です。

丸墓山から見たかつての忍城周辺

丸墓山から忍城方向を見ると
今はこんな感じです。

真田丸 忍城

赤丸のところがお城のあった位置あたり。
今のお城のように見えるものは博物館とのこと。

望遠で見るとこういう感じです。
真田丸 忍城

さらに
その博物館ができる前は
野球場だったらしい・・?

つまり
過去のなごりはほとんどなくなっていた?

でも
今は街起こしを兼ねて
歴史文物を大事にしているとのこと。

とにかく
歴史の時間軸はどんどん進むようです。

話変わって

丸墓山に連なるように
石田堤があったことから

おそらくはこの頂(いただき)の上から

忍城が水に浮くように見えたのでしょう。
すると過去と現代を入れ替えると
眼下の家々は水の中・・?

頭の中でいろいろと想像しているうちに
今、目に見えるかつての忍城の領域は

つまり
現代の行田市は
水に弱い街にも見えてきます。

ですが
同時に利根川から水を取水して
各地に分水するポイントでもあるとのこと。

遠く東京にも一部が関わるともあり
関東の水源地としても重要度が高い?

ともかく
6月にしてはとても暑い日でしたが

登ってみると想像力が豊かになり
頭は涼しくなりそうです。

(オワリ)

世相 雑談

スポンサードリンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. IQ246 織田裕二
  2. 世相 雑学
  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ブログの早見カテゴリー

お知らせ並びに管理人挨拶

最初に唐突ながら、このブログ、日本語が難解というか。立ち上がり制限時間を設けての出発でありましたので、試行錯誤も加わり、お越しいただいた皆様方にはご不便おかけしたこととお詫びするところです。ですが、ようやく十分時間をもってあたれることとなりました。ですので、完全読解の日本語で皆様にお目にかかれると思います。(本来、そうあるべきですが、成熟が遅すぎました。m(__)m)実際は、まだまだ、完治とはなりませんが、日々前進しておりますので、是非とも、お寄りいただければと存じます。よろしくお願いします。

また、管理者は諸事全般にわたり好奇心だけは旺盛、毎日何かに興味を持ち、これはと思うことに目を向けております。基本、日々のできごとから、感じたこと。受け止めたこと。思うことを「雑学」的に言葉にしています。そして、その中で何か残せるもの、お役に立つ形をがあればと日々模索のところです。