『真田丸』第22回「裁定」・・沼田城から北条の存亡の帰趨を占う裁定! このアトの小田原合戦への流れは如何に?

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世相 雑談

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『真田丸』の第22回
「裁定」を見て思うこと。

項 目

1 沼田争奪の遠因・・御館(おたて)の乱 
2 自滅の城
3 名胡桃城の価値

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沼田争奪の遠因・・御館(おたて)の乱

ドラマ第22回が始まった直後に
板部岡 江雪斎が
「御館(おたて)の乱」の結果をたてに

沼田はじめ沼田城の支配が
上杉氏から北条氏に移ったことを強調!

上杉氏の家督争いにまで触れるとは
歴史好きには楽しいところ。

「御館の乱」こそ
長尾氏の流れと北条氏の流れで
上杉謙信の跡目を争うもの。

 長尾氏  上杉 景勝 父:長尾 政景
 北条氏  上杉 景虎 父:北条 氏康

※ 北条氏政と上杉景虎は兄弟

「御館の乱」自体(1578年)は
上杉景勝と上杉景虎の間で生じ
景勝側の勝利。

しかしながら
北条氏にとって、この乱は
名目上続いた越総同盟は消滅させ
上州北部を支配下に置く機会となったもの。

(景勝側は「御館の乱」収束に向け
北条氏への和議条件として割譲)

また
北条氏は力を増し
武田氏は北条氏と徳川氏の
挟撃を受けることに。

信長の甲州征伐は1582年
その4年前のできごとであり

上杉氏と武田氏はこの乱によって
相対的に弱体化。

ともかくも
武田氏、北条氏、上杉氏の力関係に
変化をもたらす時期でもあったようです。

真田丸 沼田城

自滅の城

時代は御館の乱を下って10年ほど経過

1589年北条攻めが行われるきっかけとなる
沼田領の帰趨・・

実際にドラマのように裁定があったのか
どうかはわかりませんが

真田氏が北条氏からもぎ取った沼田城を
再び北条に返すことに

北条氏もこれで満足しておれば
よかったのでしょうが
足るを知らなかった?

結果、小田原合戦(北条攻め)へ。
・・となる地域、城ですが

それほど、この時代から古くに
建てられたものではなく
1500年代の前半の築城。

北条氏が支配した折には
猪俣邦憲(いのまた くにのり)が城代として命を受け
秀吉の裁定があった際には、再び沼田城に戻ることに。

1589年・・

この猪俣邦憲が
名胡桃城を攻め落としたことから

秀吉による北条氏の滅亡への道のはじまり。

ということで
この沼田城、北条氏にとっては
自滅のきっかけになった城にも見えます。

真田丸 沼田城

名胡桃城の価値

ドラマでは真田昌幸が名胡桃(なぐるみ)城の
自領への存続を強く願っていましたが
その際に、先祖伝来の墓があることを主張。

結果、秀吉の沼田城に関する裁定では真田氏のもとへ。
ただし、北条氏の沼田城進軍に伴い
猪俣邦憲によって、北条氏の版図へ編入。(1589年)

現代の話として
関越自動車道を練馬から北上し

高崎、前橋を抜け沼田に至ると
榛名、赤城両山のラインを

越えたところに沼田が広がります。
しかも、盆地状。

おそらくは沼田西側の崖地に築かれた
名胡桃城は沼田を広く見はらかすような
要地だったのでしょう。

沼田をおさえるところでもあり
沼田方向からの上州勢力が

信濃方面へ流れ込むことを
防ぐための要害にも見えます。

という感じで『真田丸』第22回を
受け止めていますが

中身はかなり濃く、僭越ながらも
三谷幸喜さんの歴史への造詣の深さを感じます。

第23回は如何に?・・というところ。

(オワリ)
真田丸 沼田城

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