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歴史の因縁?
信州上田からも忍城を攻めているのです。
※ 忍城は「おしじょう」と呼びます。
突然ですが、大河ドラマはかなりデフォルメして面白く仕上げているようです。
項 目
1 歴史の縁・・奇縁! 忍城の戦い
2 石田三成のもとで戦う
3 ちょっと道草・・忍城の跡?
歴史の縁・・奇縁! 忍城の戦い
はじめに、歴史は新旧の時間軸と横の世界とのつながりを見ないとなかなかイメージとして定着しがたい!
と思うわけですが。
明日10日から始まる、NHKの大河ドラマ『真田丸』の真田昌幸・信幸・信繁父子も、戦国時代の横の世界とのつながりから、同時代に生きた多くの武将との接点が見られそうです。
そのうちの一つ、1590年の秀吉による『小田原攻め』、ここでも多くの武将との交わりが生まれています。
この時は既に豊臣方に帰順している頃ですね。
しかし、ここに至るまで、武田が滅びたアト。
徳川と結んだり人質(信繁)を上杉に差し出すなど、紆余曲折アリの歴史が続いているのです。
石田三成のもとで戦う
ところで、『小田原攻め』は秀吉の考えでもあったため、その指示によって真田昌幸・信繁(幸村)の父子は直接小田原に赴かず。
北条の外堀を埋めるため石田三成のもとに参じたとあるものが、歴史の読本を見ると多いですね。
ただし、そのうちわけも諸説があり、必ずしも断定することはできませんが、ただ真田家が石田三成側に関わっていたことは、どれを見ても出てきます。
そして、これは地理的なものもあるのでしょう。
これは真田昌幸の領国「信濃真田の荘」が上州と接し、武州の成田領に比較的近いことが理由としてあったのかもしれません。
経緯はともかく、結果的には石田三成のもとで『小田原攻め』にあわせ、支城の忍城攻めに関わったこと。
これは史実に見られるとおりかと思われます。
また、いくつかの関連するものを見ると、浅野長政と他の武将らと持田口(忍城から西方:西口)を攻めたともあります。
ただし、この時は甲斐姫ら成田勢に押し返された!とありますから、ここでは真田父子、さほどの働きはしていないようです。
あるいは、小田原攻めの頃は目立たないようにしていたのかもしれません。
ともあれですよ、ここで触れたいのは、奇しくも『真田丸』の真田一族と『のぼうの城』の成田長親が石田三成を間に置いていたとしても、戦いの接点のあるところが興味深いのです。
特に、成田長親は映画『のぼうの城』にて野村萬斎さんが演じたこともあり、結構多くの人に知られた存在。
埼玉県の行田に向かうと『のぼうの城』を冠した商品があったりと、じげ起こしも盛んに見えますから、少なくとも街への影響は強くある様子。
また、成田長親が『真田丸』の主人公である真田信繁と同じ方向のベクトルを持った歴史人物にも見えてきますので、つい並べてしまいます。
どちらも、最後は敗者ですからね。
このような歴史の縁とも呼べるものが両者にあるようにも見えるのです。
ですから、『真田丸』ではどのようにそのあたりが描かれるのか、興味深いわけです。
それにしても三谷幸喜さんは自らのワールドで自由に描くのでしょう。
今までの作品でもデフォルメ多く面白くする方と思いますから。
ちょっと道草・・忍城の跡?
ここで、少々『真田丸』からそれた話に向かってみます。
先ほど触れた成田長親の忍城の歴史を持つ埼玉県行田市のことです。
せっかく寄ったので、あれこれ見てみました。
大きく印象に残ったのは、成田の殿様を題材に街興しを図っているところでしょう。
そのひとつが『忍城おもてなし甲冑隊』ですね。
行田市の観光PR隊とありますが、その装いが甲冑と名を付けるだけに鎧・具足をつけています。
こういう感じです。
なんとなく・・その場が楽しくなる!
そんな思いはします。
2016年忍城始めじゃあ!本日全員集合!足軽2人はもう準備にでておる。これより東門にて演舞やりますぞー!
和泉 pic.twitter.com/EVS5ess0xY
— 忍城おもてなし甲冑隊公式 (@oshi_omotenashi) 2016, 1月 9
酒巻さん・・そして丹波守・・カッコイイね!
この足軽のお姉さん・・すごくノリのいい感じ!
この甲冑隊の皆さんを見ているとこの成田長親の忍城を取り巻く人物と歴史を知ることができそうです。
ということで、ちょっと話の枝が増えましたが、歴史の人物は時間軸をたどるだけではなく。
横断的にも目を向けると楽しくわかりやすい・・かなと。
このように今回もとりとめもなく頭に思い浮かぶのです。
では。
(オワリ)

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