『真田丸』・・忍城攻めもある小田原合戦「北条征伐」・・そして北条5代とは? 早雲からちょっと探訪!

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世相 雑談

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こんにちは、今回も『真田丸』を題材に歴史で遊び
ます。
ドラマの方は第21回でした。
いよいよ小田原合戦に関わりつつあるようです。

項 目

1 小田原合戦「北条征伐」
2 北条5代

真田丸 北条氏政

小田原合戦「北条征伐」

ドラマ『真田丸』もですね。
いよいよ戦国時代終焉の佳境の頃に突入の様子。

「第20回」では、豊臣秀吉に従わない武将が浮き上
がりつつあり、秀吉の世界も固まってきたようです。

残るはみ出し武将は、というと語弊はありますけど。
「北条」と「伊達」の二将ですね。

「伊達」は絶妙のタイミングで取り入りますけど。
世渡りが上手いのかもしれません。

とにかく、時代は1590年、小田原合戦(小田原攻め)
に差し掛かるのです。

ここで小田原合戦に触れてみます。
まず、この合戦は「北条征伐」とも呼ばれ、一般的
にはこのように表されています。

1590年(天正18年)豊臣秀吉が北条氏を「惣無事令
違反」の罪で、征伐行為を起こした戦いとして。

要は「勝手にいくさをするではない!」から始まり。
「好き勝手にしたら、怒って成敗しちゃうぞ!」と
いう話です。

そして、その契機に至る流れはですね。
大きく武田信玄の病没後の頃までさかのぼるのです。
元はこれですから。
北条氏の関東での版図拡大の野望です。

その始まりは武田の力が弱まるこの二つから。
〇 武田勝頼が長篠の合戦で敗退(1575年)
〇 織田信長の甲州征伐(1582年)

続いて、こちらへ。
「本能寺の変」以後では北条氏直による滝川一益軍
の撃破。
これによって、上州から織田勢力は消滅へ。
北条氏、勢力拡大のチャンスということです。
〇 神流川の戦い(1582年)

その後は信長の力が消えた甲斐、信濃の動きもあり
ます。
〇 天正壬午の乱(1582年)
〇 第1次上田合戦(1585年)
こうなると、早く動いた方が領土を増やせる世界に
変わっていくわけです。

支配者がいないのですから。

でもいったん小休止のような頃もあり、天下一統を
背景にした動きが生まれます。
一時は豊臣、徳川方の双方が、戦いに突入したりも
ますけど。
でも、すぐに収まることに。
〇 小牧・長久手の戦い(1586年)

こうした関係武将の戦(いくさ)を経るわけですが。
残念ながら、過去の考えから切り替えができない!
北条氏だけはいまだ領土欲に引きずられることに。

その挙句、上州の真田の領土を狙ったことから。
ややこしくなるのです。
その延長で、さらに。
1589年、北条氏が真田から取り上げた沼田城周辺。
この主の猪俣範直が欲深く、さらに真田領を欲しい
と名胡桃(なぐるみ)城を占領するのです。

その結果、秀吉も「動くか」となった次第。

それ以外にも関白となった秀吉は北条氏を快く思わ
なかった話もあるようで、単純に嫌いだったのかも
しれません。

だから「滅ぼしちゃえ!」ということかも。
・・ですね。

NHK大河ドラマ 真田丸 オリジナル・サウンドトラック THE BEST [ 服部隆之 ]


ともあれ、このような流れで戦端は開かれて。
結果は秀吉側の圧勝、氏政は切腹へ。
しかし、氏直は徳川家康の娘婿の立ち位置もあって
助命となりますが、北条氏は滅亡。
紀伊高野山に配流の身となるのが一般的に知られた
ところでしょう。

こうして戦国の時代は負けると悲惨な運命へ。
そして、ドラマを見る限り。
知恵も技巧もあてにならず、自信過剰はダメという
ことですね。

また、戦いを通じて真田信幸は石田三成の側近くで
大谷吉継などと、成田長親に代表される忍城攻めに
参陣しています。
(歴史読本では信幸ではなく信繁が多いようです。)

《石田三成の陣所と言われる丸墓山》

真田丸 北条氏政

こういう場面を見ると、歴史の横断的なつながりを
感じたりもしますが。

でも、ドラマはややデフォルメというか。
メイキングもあるように見えます。
(再びですが、信幸ではなく信繁の記述を歴史読本で
は見ますから。)

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北条5代

ところで、ここで北条氏に触れてみます。

鎌倉時代の平氏の流れを組む北条時政・政子などの
一連の前北条氏とは違って、後北条と呼ばれること
が多いようです。

斉藤道三と並ぶようにたたき上げの戦国大名ですね。

そして、北条早雲は初期、伊勢新九郎長氏(盛時)
と名乗り、桓武系の伊勢平氏(その点では鎌倉時代
の北条氏と同根とも言えそうです。)の出自とされ
るとのこと。

で、話戻りまして、この伊勢新九郎長氏(盛時)は
当初血縁関係から駿河の今川氏のもとに身を寄せて
いたとあります。

その後は当地で力をつけて「伊豆」「相模」に根を
張る基礎を作ったとのこと。

なお、北条氏は小田原合戦で豊臣秀吉に滅ぼされる
まで続くわけですが、その当主 5代はこのとおり。

初代から順に 5代目まで。

 北条早雲
 北条氏綱
 北条氏康
 北条氏政
 北条氏直

ただし、北条早雲は没するまで北条氏を名乗ること
はなかったとも・・。
基本、伊勢長氏、あるいは伊勢盛時のままで過ごし
ていたと見られます。(歴史関係資料によれば。)

また、北条早雲の名は諡(おくりな)的要素が強い
とあります。

ですから、2代目の北条氏綱からが実質的な北条氏
の時代にあたるのでしょう。

また、名君の誉れが高いのは、北条氏の勢力伸長の
基礎を作った北条氏綱、氏康の親子。

中でも、北条氏康は関東中心部から山内上杉氏及び
扇谷上杉氏を追い出し、その本拠地を奪いますから。
(川越城など。)

1546年の河越夜戦(よいくさ)では。
関東管領の上杉憲政ほかの 8万の大軍を 8千で破る
など、戦(いくさ)上手で知られますからね。

その後は、武田氏と今川氏との間に甲相駿三国同盟
を結ぶなど、政治行政手腕を発揮とあります。
なかなかの人物と言えるでしょう。

さらに関東管領職を継いだ長尾景虎(上杉謙信)の
小田原攻めを退けています。
歴史を見る上で、とても好奇心を覚える人物であり
また一族を関東に強く根付かせた元と思うのです。

ということで、今回も徒然にこのように。
では。

(オワリ)

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